考える部屋 てらブロ。

スポーツ・医療・教育 をテーマに考え中。

「バトンを渡す」から考える

数年前、中学生陸上競技の全国大会に関わることがありました。

ケガをしている選手の対応をする仕事です。

私は陸上競技に関して詳しくないので、とても新鮮でした。

選手たちのリレー競技直前練習での過ごし方を見ていて考えること。

一般的なのかどうかは分かりませんが、4人がずーーーっと縦に並んでバトンの受け渡しの練習をしている姿はとても印象的でした。

バトンの練習をしているというより、生活の一部にバトンの受け渡しが入っている感じでしたね。選手同士で世間話をしているときも、先生の話を聞いているときも、4人が揃っていればいつ何時も・・・という具合です。

なるほど・・・。その受け渡しの一瞬に大きな責任が伴うんだなと気付かされました。

私はサッカーをやっていたのですが、一回のパスの受け渡しにあそこまで魂を込めていたかというと・・・そうでもなかったです。(だから5流だったのか。笑)

4人の頑張りを繋いでゴールを目指すリレー。教育者である(一応)私の世界に置き換えると、ちゃんと授業がバトンになっているか?と考えさせられました。

スポーツ業界(トップアスリートはもちろんその他も)を良くしていこう!という方向で走っている中で、その考えや知識(技術)を、バトン渡しのような責任を持って伝えられているか?ということ。・・・まだまだできるな。

まぁ授業だけでなく、人に何かを伝えるときはこのバトン渡しくらいの責任を持ってやらにゃならんな。

でもこれって、伝えられる側の準備も必要ですよね。リレーでいうと適切な助走を取りながら良い角度で腕を伸ばす準備です。

結局、ちゃんと伝わるか伝わらないかは、どちらも準備が必要。とはいえ、現実は「聞かない学生が悪い」、「あの教員は分かりにくい」などで考えが滞ってしまう。それぞれの意見を言うのは良いが、自分側に改善できることはないか?を考えなければ・・・。だって、ちゃんと伝わるにはどちらも準備が必要なのだから。

それぞれの意見が表に出てくる状態って、何かお互いが繋がっていない気がしますよね・・・。

「周りを変えたいなら自分が変われ!(行動しろ)!」と教えてもらったことがありますが、まさにその通りだわ。

 

よーし!!では行ってきます。